朝井リョウの退職理由はなぜ?会社(東宝)を辞めたのは移住のためだった?

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朝井リョウさんといえば、平成生まれ初となる直木賞を受賞するなど、現代の日本文学界を牽引する大人気作家ですよね!

そんな朝井さんですが、かつては大手映画会社の東宝に勤務し、サラリーマンと作家を両立していた「兼業作家」だったことはご存知でしょうか?

そして、2015年に会社を退職した際、「移住のためだったのでは?」という噂が流れたことがありました。
実際のところ、東宝を辞めた理由は何だったのでしょうか?
今回は、気になる退職の真相やプロフィール、当時のエピソードを分かりやすく解説していきます!

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目次

朝井リョウの出身地やプロフィールは?

朝井リョウさんは1989年生まれの岐阜県出身で、学生時代から圧倒的な才能を発揮し、若くして文学界の歴史を塗り替えてきた天才作家です。

項目内容
氏名朝井 リョウ
生年月日1989年(平成元年)5月31日
性別男性
出身地岐阜県不破郡垂井町(たるいちょう)
高校岐阜県立大垣北高等学校
大学早稲田大学 文化構想学部
大学卒業2012年3月

子どもの頃からのエピソードも非常にユニークで、小学校6年生の時にはすでに初めて小説を投稿していたそうです。
また、中学生時代には、卒業式の答辞を書くために自ら生徒会長に立候補したというエピソードもあります。
当時から敬愛していたさくらももこさんの影響を受け、日常系エッセイをブログなどで執筆するなど、書くことがライフワークになっていたのですね。

そして、その才能が世に知れ渡る契機となったのが、大学在学中の快挙です。

作品名と受賞・選出年

年年齢作品名受賞・選出
2009年20歳『桐島、部活やめるってよ』第22回小説すばる新人賞を受賞
2012年23歳『もういちど生まれる』第147回直木三十五賞候補
2013年24歳『何者』第148回直木三十五賞を受賞
2014年25歳『世界地図の下書き』第29回坪田譲治文学賞を受賞
2021年32歳『正欲』第34回柴田錬三郎賞を受賞

特筆すべき点
・『桐島、部活やめるってよ』で2009年に小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー。
・『何者』で2013年に直木三十五賞を受賞。
・直木賞受賞時は平成生まれ初の受賞者となりました。
・『桐島、部活やめるってよ』は2012年に映画化され、話題となりました。

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朝井リョウの会社員時代はどこの会社?会社名は東宝?

朝井リョウさんは大学卒業後の2012年4月から、大手映画会社の「東宝株式会社」に一般の会社員として約3年間勤務していました。

「朝井さんも、作家の仕事で会社の業務に支障をきたすことがないように、きっちり区別していて、執筆は必ず東宝の仕事が終わったあとの夜や出勤前の早朝。対談やインタビューも仕事終わりにスタートで、夜遅く終わって帰宅し、仮眠して起きて小説を書く、そして出勤。
そんな生活ですから、いずれにしても二足のわらじは物理的にも続けるのは厳しかったと思いますよ」(前出・文芸編集者)
引用元:LITERA

雑誌の記事で関係者が「東宝」と勤務先の名前を出して語っていました。

直木賞を受賞するほどの売れっ子作家でありながら、なぜ一般企業に就職したのでしょうか?

本人のインタビュー等によると、「サラリーマンも経験してみたかった」「兼業作家として社会人経験を積んだ上で作品を書きたかった」という強い思いがあったそうです。
また、先輩作家から「会社勤めの経験がない人が書いた会社員はスパイみたいだ」と言われたことも、実社会を知る大きな動機になったと語られています。

気になる会社員時代の働き方ですが、驚くことに非常にスマートでした。

新入社員時代、お姉さんからの「最初の一ヶ月でライフスタイルを理解してもらった方がいい」というアドバイスに従い、残業をせずに定時でスパッと帰る新入社員だったそうです。


とはいえ、周囲との関係がギクシャクしていたわけではなく、番組名・発言として有名なところでは、TBSラジオ『爆笑問題カーボーイ』(2013年5月放送)にて、爆笑問題の太田光さんが「『桐島』で話題になって直木賞も獲ったのに東宝に就職した。理由は『サラリーマンもやってみたかった』だなんて、俺が何十年かかってもできないことを涼しげにやりやがって」と、嫉妬交じりに面白おかしくネタにして話題になったこともありました。

退職後に「また兼業作家に戻りたい」と語るほど、会社員生活や社内の人間関係は非常に良好で充実していたそうですよ。

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朝井リョウが会社を退職した理由は?移住のため?

結論から申し上げますと、世間で言われていたような「単なる地方移住(引っ越し)」が目的で東宝を辞めたわけではありません。本当の理由は、「東京ではない場所に仕事場を構えて臨む、長期の取材や執筆の依頼が舞い込んだこと」でした。

朝井さんは2015年4月、入社4年目を迎える直前に東宝を退職しました。
一部のネット上やSNSなどでは、「人間関係のトラブルがあったのでは?」「地方への移住に憧れて辞めたのでは?」といった噂が囁かれましたが、本人のインタビュー(2015年5月「本の話WEB」、2015年10月「リクルート」など)によって、その真相がハッキリと語られています。

リクルートのインタビューの中で、朝井さんは「仮に東京を離れる仕事の依頼が無かったら、そのまま会社に残っていたと思う」と明かしています。

朝井 僕、今年の4月30日で会社を辞めました。3年と1カ月勤めたことになります。
理由は、少し先ですが、東京ではない場所に仕事場を構えて臨む仕事の依頼をいただいたからです。
引用元:文春オンライン

つまり、「地方移住をしたくて会社を飛び出した」のではなく、あくまで「作家としての新たな挑戦(東京外での取材や執筆活動)」のオファーが来たことが、退職を決断する最大の引き金だったのです。
兼業作家の限られたスケジュールや東京を離れられない環境では、その大掛かりな仕事を引き受けることが物理的に不可能だったのですね。

さらに、退職を決めた背景には、会社や同僚に対する誠実な葛藤もありました。

4年目を迎えるにあたって後輩や部下ができるタイミングであり、同期の仲間たちが休日にゴルフなどを楽しんで会社組織に貢献している姿を見る中で、「自分は心身ともに100%を会社に注ぎ込めていない」という強い申し訳なさを抱いていたそうです。
また、社内のジョブローテーション制度の時期とも重なり、「このタイミングを逃すと次は辞めづらくなる」という複合的な事情も背中を押しました。

ネガティブな理由や気まぐれな移住などではなく、「作家としてどうしても挑戦したい仕事ができたから」という前向きな理由と、「会社に対して誠実でありたい」という真面目な人柄が重なった結果の円満退職だったのですね。

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まとめ|朝井リョウの退職理由はなぜ?会社(東宝)を辞めたのは移住のためだった?

この記事のまとめとして、朝井リョウさんの東宝退職に関するポイントを振り返ってみましょう。

・大手映画会社「東宝」での勤務: 2012年〜2015年の約3年間、直木賞作家でありながら会社員としても働き、「二足のわらじ」を全力で経験していました。

・「移住そのもの」が目的ではない: 「地方でのスローライフに憧れて移住した」というわけではなく、「東京以外の場所に仕事場を構えて挑む、長期の取材を伴う執筆仕事の依頼を引き受けたこと」が真の理由でした。

・会社や仲間を想う誠実さも決断の要因: 兼業を続ける中で会社に100%の力を注げないことへの罪悪感や、社内の人事ローテーションのタイミングが綺麗に合致したことが退職の背中を押しました。

結論として、ネガティブなトラブルや単純な移住ではなく、「作家として新たな表現や挑戦(東京外での取材仕事)をするための大きな決断」と「会社への配慮・タイミング」が見事に一致した結果の円満退職だったことが分かりますね。

自分の生き方や仕事に対してとことん誠実に向き合う朝井リョウさんの姿は、働く私たちにとってもすごく刺激になりますね!

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この記事を書いた人

30年以上に渡りテレビを毎日見続け、テレビで紹介された飲食店をリサーチし続けるWEBライター・Kanoa(カノア)です。グルメ、旅行番組、ドラマが好きです。見たこと聞いたことを調べて書き、楽しいワクワクする話を綴ります。温泉、グルメが得意分野です。

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