平成生まれ初の直木賞作家であり、数々の心に刺さる作品で私たちを魅了し続ける朝井リョウさん。
「人間のリアルな感情を描かせたら右に出る者はいない!」と、読むたびにその才能に圧倒されてしまいますよね。
そんな朝井リョウさんですが、実は大学受験を巡るエピソードや、早稲田大学へ進学した意外な理由がとてもドラマチックなのをご存知でしょうか?
「朝井リョウさんの第一志望の国立大学はどこだったの?」 「どうして国立から早稲田大学へ進路変更したの?」
今回は、そんなファンの気になる疑問を、徹底解剖していきます!
当時の熱いエピソードを知れば、彼の作品がさらに愛おしくなること間違いなしです。
それでは、さっそくプロフィールから見ていきましょう!
朝井リョウの年齢や出身地はどこ?プロフィール
まずは、私たちの心を揺さぶり続ける朝井リョウさんの基本的なプロフィールからおさらいしていきましょう。
朝井さんは岐阜県出身の1989年生まれで、学生時代から圧倒的なエネルギーを持って駆け抜けてきたマルチな才能の持ち主です。
朝井リョウさんは1989年5月31日に、岐阜県不破郡垂井町で生まれました。
豊かな自然に囲まれた岐阜県で多感な時期を過ごしたのち、地元にある岐阜県立大垣北高等学校を卒業されています。
高校時代はバレーボール部で補欠を経験したり、体育祭の応援団長を務めたりと、青春のワンシーンを全力で駆け抜けていたようです。
なんだか、彼の作品に出てくる瑞々しい登場人物たちの原風景が垣間見えるようですよね。
そして、高校卒業後は上京し、早稲田大学の文化構想学部へ進学しました。
大学ではストリートダンスサークルに所属するなど、キャンパスライフもしっかり満喫しつつ、文学の世界へ深く足を踏み入れていきます。
早稲田大学では、小説家でありフランス文学者でもある堀江敏幸教授のゼミに所属し、文学的な感性をさらに磨き上げました。
特筆すべきは、その圧倒的なデビューの早さです。
| 年・年齢 | 出来事 |
|---|---|
| 2009年・20歳 | 大学2年になる前の春休みに執筆した『桐島、部活やめるってよ』で、第22回小説すばる新人賞を受賞。 大学在学中に作家デビューを果たす |
| 2013年・23歳 | 『何者』で第148回直木三十五賞を受賞。 23歳という若さでの直木賞受賞となった |
これは平成生まれ初、そして男性最年少での快挙となりました。
大学卒業後も会社員として働きながら、2015年まで兼業作家として活躍するなど、そのバイタリティにはただただ脱帽するばかりです。
朝井リョウが受験した第一志望の国立大学はどこ?
「朝井リョウさんの第一志望は東京の国立大学だったって本当?」
と気になっている方も多いのではないでしょうか。
東京への憧れで第一志望は東京の国立大学?
受験生時代、朝井さんは「受験勉強は本当に辛かった」と当時を振り返っています。
しかし、その過酷な勉強を支えていた最大の原動力は、ほかならぬ「東京への憧れ」でした。
「この問題が解けたら、もしかしたら東京に行けるかもしれない」そんな強い思いを胸に、日々の机に向かっていたそうです。
東京への憧れがあったと語っているので第一志望の大学も東京の国立大学だった可能性がありますね。
ただ、受験した大学名は明かしていません。
インタビューにはこのように答えています。
結局、第一志望の国立大には落ち、早稲田大に進みました。
引用元:朝日新聞
東京の国立大学で早稲田大学文化構想学部より偏差値が高い大学
ちなみに、東京の国立大学で早稲田大学文化構想学部より偏差値が高い大学を調べてみるとこちらの大学がありました。
カノア早稲田大学文化構想学部より偏差値が高いのって東京大学だけですよね?
| 大学名 | 偏差値 |
|---|---|
| 東京大学 | 67.5~72.5 |
| 一橋大学 | 65.0~67.5 |
| 東京外国語大学 | 57.5~62.5 |
| 横浜国立大学 | 62.5~65.0 |
| 大学・学部 | 偏差値 |
|---|---|
| 早稲田大学 文化構想学部 | 67.5~70.0 |
東京大学が67.5以上で文化構想学部より高いです。
しかし、受験は単純に偏差値で合否が決まるものではないので、朝井さんがめざした大学は東大という確認はできていません。
朝井リョウが入学したのは早稲田大学文化構想学部、理由は?
「国立大学に落ちて、どうして早稲田大学へ?」
その選択の裏には、作家・朝井リョウの原点となる、あまりにも熱くて潔いエピソードがありました。
浪人して国立大学を目指すか?第二志望の私立大学へ進むか?
高校3年生の大学受験時、第一志望だった国立大学に不合格となってしまった朝井さん。
そこで「浪人して国立を目指し続けるか、第二志望の私立大学に進むか」という、人生の大きな岐路に立たされます。そのとき、三者面談の場で先生とお母さんに対して、彼はこう言い放ちました。
浪人したくない!19歳までに作家になりたい!
「浪人はしたくありません。書きたい話がたくさんあるんです。もう1年なんて我慢できません」
この言葉、小説家を志す者としての凄まじい執念を感じませんか?
写真集・エッセイ集『18きっぷ』(朝日新聞出版)に収録された書き下ろしエッセイ「18歳の選択」などでも紹介されているように、その背景には、綿矢りささんが19歳で芥川賞を受賞したことへの大きな衝撃がありました。
「自分も19歳までに作家になりたい」という強いタイムリミットを心に抱いていた朝井さんにとって、受験勉強のための「浪人の1年」はあまりにも惜しかったのです。
ある人物との出会いで早稲田大学文化構想学部へ
さらに、進学先を早稲田大学文化構想学部へと引き寄せた決定打がもう一つあります。
それは、高校時代に解いた国語の過去問でした。
その試験問題の題材になっていたのが、作家・堀江敏幸さんの小説(『スタンス・ドット』/『雪沼とその周辺』所収)でした。
その文章を読んだ朝井さんは、時間を忘れて物語の世界に没頭してしまうほどの強烈な衝撃と感銘を受けたのです。
その後、志望校を選ぶために「大学図鑑」などの資料をめくっていたところ、早稲田大学文化構想学部の教授一覧に「堀江敏幸」の名前を発見。
「ここに行けば、この人に会える!」と直感したことが、早稲田受験の決め手となりました。
入学後もその選択に迷いはありませんでした。
大学生活を楽しみつつも、19歳という自ら課したリミットが近づく中、「これでは駄目だ」と奮起。
大学2年生になる直前に『桐島、部活やめるってよ』を書き上げ、見事デビューを果たすのです。
国立大学へのこだわりを捨て、「今、書きたい」という情熱を優先した18歳の選択こそが、今の私たちを魅了する天才作家・朝井リョウを生み出したのですね。
まとめ|朝井リョウの大学の第一志望はどこ?入学した早稲田じゃなく東京の国立大学?
今回は、朝井リョウさんの知られざる受験エピソードと、早稲田大学文化構想学部へ進学した理由について詳しく紐解いてきました。
記事のポイントを振り返ってみましょう。
・東京への強い憧れ:高校時代は「東京に行きたい」という強いモチベーションを原動力に、過酷な受験勉強に打ち込んでいた。
・進路変更の決断:第一志望の国立大学に不合格となった際、「浪人して受験勉強に1年使うより、小説を書く時間に当てたい」「もう1年なんて我慢できない」と、第二志望だった早稲田大学への進学を選択した。
・運命の出会い:受験の過去問で感銘を受けた作家・堀江敏幸教授が早稲田大学にいると知り、「ここに行けば会える!」と直感したことが文化構想学部を選んだ最大の決め手となった。
・圧倒的な結実:入学後は希望通り堀江ゼミで学び、大学在学中の自由な時間を活かして『桐島、部活やめるってよ』を執筆。
直木賞受賞へと繋がる黄金のキャリアを切り拓いた。
「遠回りしたくない、今すぐ書きたい!」というあの日の若き朝井リョウさんの直感と情熱がなければ、私たちは『桐島、部活やめるってよ』や『何者』といった名作に出会えなかったかもしれません。
そう考えると、彼の人生の選択そのものが、まるで一冊のドラマチックな小説のようですよね。
次に朝井リョウさんの作品を開くときは、ぜひこの「18歳の熱い選択」と「東京の大学で文学に没頭した日々」に思いを馳せてみてください。
きっと、ページをめくる手がさらに止まらなくなりますよ!
最後までお読みいただきありがとうございます。
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