駅伝ファンや陸上界の枠を超えて、いま大きな注目を集めている早稲田大学出身・SGホールディングスの山口智規選手。
スピードと粘り強さを兼ね備えた日本トップクラスのランナーですが、実は「中学時代に野球をやっていたらしい」「硬式野球の強豪だったって本当?」というウワサを聞きつけた方も多いのではないでしょうか?
実は山口選手、ただの野球好きというレベルではなく、千葉県の強豪チームでスカウトされるほどの本格的な球児だったんです!
しかも、陸上部との掛け持ちをしながら圧倒的な実績を残していたというから驚きですよね。
今回は、そんな山口智規選手の知られざる中学時代の野球エピソードから、陸上へと舵を切った運命の決断、そして直近の国際大会での大活躍まで、たっぷり詳しく迫っていきたいと思います!
山口智規のプロフィール!身長や年齢など
まずは、日本のトップを走り続ける山口智規選手の基本的なプロフィールから整理していきましょう。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 2003年4月13日 |
| 出身地 | 千葉県銚子市 |
| 出身小学校 | 銚子市立高神小学校 |
| 出身中学校 | 銚子市立第二中学校 |
| 出身高校 | 学校法人石川高等学校(学法石川高校) |
| 大学 | 早稲田大学スポーツ科学部 |
| 大学時代の実績 | 4年時に早稲田大学競走部の駅伝主将を務める |
| 所属 | SGホールディングス陸上競技部 |
| 所属開始 | 2026年~ |
カノア高校は福島県の陸上強豪校である学校法人石川高等学校(学法石川高校)へ進学されたのですね。
気になる身長や体重についてですが、実は各種公式プロフィールやメディアをくまなく探しても、具体的な数値の記載はありません。
数字よりも、その圧倒的な走りのキレやレース運びで存在感を放っているのが山口選手らしいところかもしれませんね。
そんな彼の主な自己ベスト記録は、まさに日本トップランナーのそれです。
| 種目 | 自己記録・実績 |
|---|---|
| 1500m | 3分38秒16(2025年日本選手権2位) |
| 3000m | 7分47秒13(2026年) |
| 5000m | 13分16秒38(2026年) |
| 10000m | 27分52秒37(2024年) |
| ハーフマラソン | 1時間01分16秒(2023年上尾シティハーフマラソン) |
特にハーフマラソンでは、あの日本記録保持者・大迫傑選手が持っていた早大記録「1時間01分47秒」を31秒も更新する快挙を成し遂げ、世間に大きな衝撃を与えました。
なんと、日本勢としては1994年広島大会の高岡寿成さん以来となる、実に32年ぶりのメダル獲得という歴史的快挙を成し遂げたのです!
そんな世界を沸かせるトップアスリートの原点が、実は中学時代に打ち込んでいた「野球」にあったというから、さらに興味がそそられますよね。
山口智規は野球もやっていた?中学時代はリトルシニアで硬式野球



山口選手は本当に野球をやっていたの?



はい、中学時代まで本格的な硬式野球プレイヤーでした!
小学校3年生の時から野球を始めた山口少年。
地元の銚子市立第二中学校に通っていた当時は、中学校の部活とは別に硬式野球チームである「リトルシニア」に所属し、日々白球を追いかけていました。
当時守っていたポジションは、花形であり高い守備力が求められる「ショート(遊撃手)」です。
これが単なる趣味のレベルではなく、千葉県内の野球強豪高校からスカウトの声がかかるほどの本格派実力者だったというから驚きですよね。
もしそのまま野球の道へ進んでいたら、甲子園を沸かすスター選手になっていた可能性も十分にありました。
では、なぜそこまでの実力がありながら、現在の陸上トップランナーの道へ進むことになったのでしょうか?
高校進学を控えた時期、山口選手は「将来を考えたときに、陸上選手になるか野球選手になるか」で非常に深く悩んだといいます。
その中で彼が野球ではなく陸上を選んだ明確な理由について、本人はのちにこう語っています。
「野球は体を大きくするためにたくさん食べることが必要で、それが自分には合わなかったのと、走ることの方に可能性を感じたので、陸上を本格的に始める決断をした」
身体を大きくするために「食べ続ける」ことがプレッシャーや負担になっていたこと、そして何より自分の足で風を切って走る「陸上のスピード感と無限の可能性」に心惹かれたことが、運命の分かれ道だったのですね。
さらに、進路を語る上で欠かせないのが早稲田大学への強い憧れと、ご家族の存在です。
もともと「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹さんや大迫傑さんらの活躍を見て育ち、一時は「(早稲田の系属校である)早実で野球をやろうか」と考えたこともあったそうです。
そんな中、陸上好きだったお父様から「早稲田に行きたいなら、(陸上で有名な)学法石川高(福島)はどう?一度見に行ってみたらどうだ」とアドバイスを受けます。
実際に福島県の学法石川高校を見学した際、全国トップクラスの選手たちが真摯に練習に打ち込む姿や環境に心を魅了され、「陸上のほうが自分の可能性をより伸ばせそうだ」と確信。
こうして、硬式野球で培った勝負強さを胸に、陸上の世界へ飛び込むことを決意したのです。



お父様のアドバイスのおかげですね!
山口智規が陸上を始めたのはいつ?中学時代から
「野球から陸上へ転向したのはいつなのだろう?」と気になるところですが、実は山口選手がいきなり陸上一本に絞ったわけではありません。
初めて本格的な駅伝を経験したのは小学4年生の時。
兄や姉も出場していた市内の駅伝大会に参加したのが最初でした。
その後、中学生になってからも「中学校対抗銚子半島一周駅伝」に出場するなど、走ることへの才能はすでに頭角を現しており、中学2年生の頃にはすでに先頭集団を引っ張るほどのランナーになっていました。
つまり中学時代は、リトルシニアでの硬式野球をメインにしつつ、中学校の陸上部にも所属して駅伝のレースなどを走るという「二刀流(兼部)」の状態だったのです。
そのため、本人が「本格的に陸上競技へ人生を絞った」と言えるのは、高校(学法石川高校)へ進学してからのことでした。
高校に入学してからの成長スピードは、まさにモンスター級でした。
| 学年 | 主な実績 |
|---|---|
| 高校1年時 | 5000mで13分台をマーク |
| 高校3年時 | 日体大記録会の5000mで13分35秒16を記録。当時の高校歴代3位・福島県高校新記録 |
ちなみに、高校時代に大きな目標として背中を追いかけていた先輩には、のちに東洋大学で活躍する松山和希選手がいたそうです。
高校1年の早い段階から自ら当時の相楽監督へ「早稲田に入りたい」と直談判し、高校2年の冬には早稲田大学への進学が内定するという早熟ぶりを発揮しました。
大学に進学してからも、山口選手の快進撃は止まりません。
・大学1年時: 全日本大学駅伝4区3位と好走。直前の胃腸炎で箱根駅伝こそ涙の欠場となりましたが、「体が一番だから」というお父様の温かい言葉に支えられました。
・大学2年時: 上尾シティハーフマラソンで1時間01分16秒(日本人トップ)を叩き出し、大迫傑選手の早大記録を更新。箱根駅伝では花の2区で4位と堂々の走りを見せます。
・大学3年時: 世界クロスカントリー選手権の日本代表に選出され、日本選手権クロカンでは見事優勝を飾ります。
・大学4年時: チームの「駅伝主将」に就任。全日本インカレでは1500mと5000mの2冠を達成し、日本選手権1500mでも準優勝(3分38秒16)。さらに出雲駅伝の2区では圧巻の「9人抜き」を演じて区間賞を獲得するなど、主将としてチームを引っ張りました。
そして大学を卒業し、SGホールディングスへ進んだ2026年、名古屋アジア大会の男子5000mで日本勢32年ぶりとなる銀メダルを獲得。
中学時代に培ったベースと、自ら選んだ陸上への強い意志が、世界の舞台で大輪の花を咲かせた瞬間でした。
まとめ|山口智規は野球もやっていた?中学時代はリトルシニアと陸上部をかけもち!
今回の記事の重要なポイントを改めて整理してみましょう。
・中学時代は野球と陸上の二刀流!: 小学3年から始めた野球でリトルシニアのショートを任され、県内強豪高校から声がかかる実力派だった一方、中学の陸上部でも駅伝等で活躍していた。
・陸上に絞った理由は「食の負担」と「走りの魅力」: 野球に必要な体重増量(たくさん食べること)が自分に合わず、何より「走ること」の将来性に無限の可能性を感じて陸上を選択した。
・父親の助言と早稲田への憧れ
: 父のアドバイスをきっかけに陸上の名門・学法石川高校へ進学し、本格的に陸上選手としての道を歩み始めた。
・世界を舞台にする現在の活躍: 高校での圧倒的な実績から早稲田大学へ進み、大迫傑のハーフマラソン記録更新や主将としての活躍を経て、2026年名古屋アジア大会5000mで32年ぶりとなる銀メダルを獲得。
「中学時代の野球と陸上の掛け持ちで培われた高い身体能力と、自らの意思で選んだ陸上への挑戦」こそが、現在のアジア銀メダリスト・日本トップランナーとしての山口智規選手を作り上げた最大の原動力だったのですね。
今後、ロサンゼルスオリンピックでの入賞やニューイヤー駅伝での区間賞など、さらなる高みを目指して走り続ける山口智規選手から、ますます目が離せません!
みなさんもぜひ、これからの彼の走りを一緒に温かく、そして熱く応援していきましょう!






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